今から200余年前の寛政9年(1797)に『千羽鶴折形』という本が刊行されました。ここには、一枚の紙から、2羽から最高97羽までの連続した鶴を作る方法が49種類紹介されています。横に繋ぐだけの簡単なものから、五層に積み上げて折る立体的なものまで、実に驚異的な内容で、当時も話題をさらったらしく、『千羽鶴折形』は寛政12年(1800)に再販されています。
この驚くべき連鶴を考案した魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)は、桑名(現在の三重県桑名市)の長円寺の住職でした。僧侶がなぜ鶴を?という疑問はありますが、彼は変化に富んだ鶴を考案する決意のもと、18年という歳月をかけてこの折形を完成させています。義道は49種類だけではなく、もっと多くの種類を考案し、その中の一部を選んで刊行したと思われますが、残念ながら、考案の原本は残されていません。
義道は連鶴を考案しただけではなく、漢詩や俳句を嗜み、名所旧跡の歴史や故事などを調査するなどの文化的活動もしています。彼の交流は広く、桑名藩や長島藩の儒学者、大坂の本草学者木村蒹葭堂(けんかどう)、『東海道名所図会』の編著者秋里籬島(あきさとりとう)などと親交がありました。これらの交流の中から『千羽鶴折形』の編集は籬島が担当したと言われ、また、連鶴を桑名藩校立教館教授廣瀬蒙斎(もうさい)が絶賛しています。義道は自らも多くの著書を著していますが、現存が確認されているのが3冊のみであるのは残念です。
幸い『千羽鶴折形』は現存し、世界最古の遊びの折紙の本であると言っても過言ではないすばらしいものを残してくれました。この折り方は、昭和51年(1976)桑名市の無形文化財に指定され、「桑名の千羽鶴」と名付けられました。
※使用画像:『千羽鶴折形』(桑名市博物館蔵)より